あれっ?

って思ったんですよ。けいおんの話ですけどね、2期を見返してみて。

何がってもう、あの、丁寧すぎるあずにゃんどうしようっていうテーマの提示。懇切丁寧、誰が見たって、2期があずにゃんのための物語だってことはわかる。1期を何度か繰り返したあとだと、ちょっとうざったすぎるくらい。わざとらしいよって。

と、そのはずなんだけど・・・。

どうも一回目のぼくはそれにまったく鈍感だったらしくて。初見と全然印象がちがうんですよ、1話が。
まず、1期を繰り返し見てから2期に突入して目につくのは色使いの変化。全体的に落ち着いた色になってますね。もう、殺しに来てる。1期から夕焼けにはこだわっていたようですけど、2期はもっと徹底的。窓から差し込む光に存在感がありますね。光が目立つってことは影も目立つってことで、これまた2期は影が印象的。暗いんですね、他の部分が。んで、話してる唯たちはその暗い所にいたりする。ぼくはこちらがとても好きなんですが(まあ、同時に疲れもします)、ともあれ、画面全体から感じられる印象が全然違う。ただキャッキャウフフさせるんだったらこんな画面を作らなくていいわけですから、こういう変更も、先述の執拗な描写とつながってるわけですが、ぼくはそれを初見でまったく意識してなかった。感じてなかった。
まー、1期は実家の暇な時に見て、2期はまた1週間後くらいに東京に帰ってきてから見たってのもあると思いますが、それにしても、絶句せずにはいられない。これは気づけよ、と。

ところで、ぼくがけいおんで一番ダメージを負ったのは、2期の20話なんですよ。もう、ライブ後の描写がパーフェクトにすぎて、そして、叫びだすのはもちろんムギで。それはそうと、あのシーンは4人にとっての高校生最後のライブで、極端なことを言ってしまえば、あまりあずにゃんは重要じゃないと思います。いや、ありますけど!!!わかりますけど!!!!(たぶん)
思うに4人にとっての3年間の総括は20話で、そこで放心して、先に進めなくなったぼく(ちなみに最終回までいっても全然こなかった)。つまり、そもそも、あずにゃんのことをほとんど気にしてなかったんですね。あずにゃんのことを気にしていないというよりは、1個下という存在としてのあずにゃんを。
あのときのぼくは、彼女たち5人のただの関係性のお話としてけいおんを楽しんでいたと思います。当時のぼくにとっては、だから、けいおんは、女の子の関係性の作品でしかありませんでしたし、そして、それをぼくは心の底から楽しんでいました。愛でていました。彼女らがとてもとても好きでした。だから、(当時の)ぼくには、20話以降は必要なかったんでしょう。20話が最終回だったのでしょう。呆けた顔で立ち尽くさなければならなかったんでしょう。

今、2周目を見ています。ある意味においては、「1週目」です。
楽しみなのは間違いなく、そして、同時にさびしくもあります。

追記
なんでこんな見方をしてしまったか、ということを少し考えてみたら、やっぱりムギばっかずっと見てたから、これに尽きるような気がしている。ムギはいい子です。大好きです。