掃除!

好きなんですよ、掃除。すごく楽しいんです。燃えるごみと燃えないごみ、2つの大きな袋を持って、机や床にあるものをどちらかの袋に投げ込んでいく。本やらなんやらは元の場所に戻す。通販の掃除機の実演のようにそこにものがなくなっていって、もう、とてもすっきりする。快感。気持ちいい。同様に食器洗いや洗濯も好きです。どちらも、やらなきゃいけない(と思っていた)ことがなくなって、全部消えてなくなるのがいいんですね。しかもそれが目に見える。勉強とかでもねー、模試の成績が上がんないのにコツコツ勉強し続けるってつらいと思うんですよ。自分が進んでるのかそれとも立ち止まってしまっているのか、わからなくて不安だし、それに、何より報酬がない。せっかく苦痛なことをしているのにすぐに見返りがない。逆に、成績がガンガン上がるときって楽しいです。それと同じですね。掃除や食器洗いや洗濯は楽しい。間違いない。

でも。始めるのが苦手なんですよ。先延ばしが得意なんですよ。目の前に散らかった部屋と、洗ってない食器と、溜まった洗濯物があると、「まあ、いいや。一発抜いてcivでもやろ」となるわけです。やり始めたら楽しいんですけどねえ。明日の朝やればいいだろと言いつつ11時に起きるのがぼくです。いや、間違えました。”今日の”ぼくです。今もそういう気分です。部屋は汚いです。取り込んだ布団が放ってあったり、炬燵の上に食器が腐りかけてたりします。ってなんか寿司食うのに使ったしょうゆやべえことになってるなんだこりゃキモ!

「出したものは仕舞う!使ったものは洗う!点けたものは消す!開けたら閉める!ゴミはゴミ箱へ!」。小さいころから口を酸っぱくして言われ続けたのについに身につかなかった母の言葉が脳裏に響きます。これができないからダメ人間になってしまいました。「自分だけが使う部屋になったら自分が快適に過ごすためにちゃんとやるよ!だって自分がつらいじゃん!」。ええつらいです。でもやりません。だからつらいです。つらいだけが残りました。ああ掃除やりたくねえ。

逐一片付ければ、何の問題もないんですよ。労力も少なく、心理的なハードルも低い。でも、けっきょく後へ後へになってしまう。ところで、ぼくは掃除が好きと言いました。語弊があるので言葉を足します。ぼくは「一気にやる掃除」が好きなのです。一気に部屋がきれいになって、「あああああああああああああああああああああきれいいいいいいいいいいいいいいいいい」って悶えたいのです。それはカタルシスです。だから、逐一する掃除はきっと好きじゃないんです。「きれいをキープする」じゃなくて「一気にきれいにする」が目的だしモチベーションだから、こういうことになる。困る。

さらに問題があるとすると、「一気にやる掃除」も始めるまでは等しく楽しくない。要はやる気が出ない。やり始めるまでが長い。けっきょく掃除好きじゃない。やりたくない。ああ、掃除やりたくない。

はあ、ブログも書き終わったし一発抜いてcivでもするか。ガンジー叩きのめしたしあとはスレイマンすりつぶして終わりだな。あいつ、核持ってないといいんだけど。