憂がわからない。

ぼくは憂の気持ちがわからない。感情移入できない。ぼくが、どうしても顔を歪めてしまうような場面で、憂は変わらずニコニコしている。最初は、その笑顔を見て、憂を天使のように思っていた。なんて懐が広いんだろう、とか、そういう感想とともに。「憂は天使だなあ」と何度つぶやいたかわからない。でも、今はそうは思えない。彼女とぼくとの間に、埋めがたい断絶を感じる。ニコニコしている憂は恐ろしい。

2期の5話の話。軽音部が旅行でいないから、休日を3人で遊ぶ。2日後、唯たちが帰ってきて、それで、唯は、問答無用で梓を引っ張っていく、連れて行くわけだ。このとき、唯と梓を純と憂が見るような構図になっていて、唯の「じゃあねー」は、とても暴力的にさえ見える。奪われていく、そういう言葉が似合うよう。それを見て、傍らの純は少し呆けた顔をして、溜息をひとつ。とても正直なリアクションだなあと思う。ぼくが純なら、溜息の一つもつきたくなるだろう。梓と憂は、純にとっては最も仲が良く、大切な友達のはずだ。翻って、憂はどうか。笑っている。変わっていない。

梓に軽音部があるように、純にはジャズ研がある。もう一つ、おそらく、密度のある程度濃いコミュニティを持っている。憂はどうか。持っていない。部活にも入っていない憂には、少なくともアニメで描かれたもの中では、憂には純と梓と唯しかいない。でも、笑っている。梓が連れ去られても笑っている。(まあ、連れて行ったのが唯だから、というのはあるかもだが)

ところで、何話だったか忘れたが、唯が梓に電話をするシーンがある。たしか、他愛のない、ただの報告というか、「これこれがねー、これこれこうなんだよー!」みたいな、そんな内容だった。ぼくは、思うに、梓に出会う前は、何か人に話したいような出来事があったとき、電話をかける相手は憂だったんじゃないかと思う。大河は竜児にことあるごとにぜんぶ報告するじゃないですか(すんげーかわいいよねあれ)。あんな感じで。
それが梓になって。それだけじゃなく、たくさんのいろんなものが梓になって。それらは憂の前でもよくわかる形で行われて、それで、憂はニコニコとしている。憂が最も大切な人間は唯だろうと思う。それなのにニコニコしている。嫉妬とか、そういう感情は生まれないんだろうかなあと、ぼくはそう思えて仕方がない。ぼくにはわからない。

「自分とはどうなろうが、好きな人が幸せでいてくれればいい」みたいなのがある。ぼくにも好きだった女の子というのがいて、まあ、振られたんだけど、その彼女に友達でいることをお願いされた。まあ、できないよねっていう話で。だって、彼女から「彼氏ができて幸せです」って言われて、ぼくは祝福できる自信がない。まったくもって、笑顔で拍手なんてできない。彼女が本当に好きならば、そこで祝福するべきなんだろうとは思う。だけど、できない。できる気がしない。同様に、頻繁に電話をかけあって、夜遅くまでしゃべりまくるようなぼくのとても仲のいい友人が、ぼくよりももっと気の合う人間を見つけて、そいつがぼくのポジションに収まったとする。友人がより満足したとする。ぼくは喜べない。悲しくなるし、きっとねたむ。

(少なくともぼくの知る)母親というものは、子の幸せを願う。そばに自分がいるかどうかは関係なく、ただただ子の幸せを願う。昔自分がいたポジションに、他の誰かが収まって、それで、わが子がニコニコしていたとしたら、それを手放しに喜ぶ。

ここまで考えてみて、もしかしたら、憂は母親のように姉のことを愛しているのかもしれないなあ、なんて、そんなことを思う。だとしたら、憂はぼくが最初に思ったように天使(というか聖母?)で、そんなに怖がるものでもないのかもしれないし、ぼくが断絶を感じるのも当たり前のことなのかもしれない。
ぼくの人間としてのグレードが、ただただ低いだけなんだと思う。