ToHeartをやりました。あかりとマルチのシナリオだけだけど。

というわけで、まあ、だいたいついったーに書いたことですがてきとーに。

マルチはよくこんな露骨にかわいい生き物を出せるなあ、ということで、今なら逆に出せないんじゃないかなあと思いました。いや、だって、今ならちょっと照れちゃうというか、ここまでやるのはわかりやすすぎるかなあ、って引いちゃうでしょ。そりゃ好きになるよ。小っちゃくて、泣き虫で、だめな子で、一生懸命で、ロボットで、笑顔がかわいくて、他に友達もいなくて、撫でられるのが好き、ときたもんだ。愛でやすすぎて、え?いいのかな?これ大好きです!って言った瞬間に、うわーないわーやっぱりそういう欲望に基づいてるんだねー気持ち悪いなーって言われたりしないの?って身構える感じになる。醜悪なマッチョイズムの権化だー!うわー!とか指さされるような気がしてならない。うん、マルチくそかわいい。大好き。あそこで、満面の笑顔で、浩之の家を出られるっていうのが、本当に死にそうになる。えらい。ぼくなんかより強い。マルチ撫でたい。死にたい。
あと、思ったのは、わざわざマルチの「妹」たちを、あんな風に描く必要はあったのかなってことで。マルチとはちがって心が入ってないロボットでした→マルチが帰ってきました!よりも、マルチと極めて近い心を持ったロボットでした→でもこれはマルチじゃないんだ→マルチが帰ってきました!のほうが、カタルシスが強くなるというか、一つツッコミどころは減るしいいんじゃないかなと思いました。と、ここまで書いて思ったけど、ぼく、本当にマルチがロボットであることどうでもいいんですね、たぶん。

で。
あかりシナリオについてですが。
まず、あかりがおさげをやめた。浩之ちゃんが、それであかりを意識したと回想している。
そういうところで、決定的に合わなかったという話で、じゃあ、矢島くんがあかりに告白したがっていて、その協力を頼まれた、ということだけで何がダメだったのか、という風に思うし、まあ、単純に好きじゃなかったです。ライターさんが持っている問題意識に、心底興味がないということでした。

あかりとの日常パートはとてもとてもよかった。ああいうものを積み上げるっていうことをしたっていうのは、本当に評価したいし、感謝したい。でも、それを積み上げることであかりシナリオをもっと別なものにできたんじゃないのかという思いはもちろんある。
それと、あと、あれをやられて、どういう気持ちで他の女の子の攻略をすればいいの?っていうことについては、素朴に困惑している。やれよって言われるから委員長シナリオはやりますけども、でも、本当に、じゃあ、その世界線のあかりはどうなるの?って思うし、それで浩之てめえはいいのかよ?って思うし、俺はそれでよくねえよ!って思うので、なんというか、なんなんでしょうね。エロゲって。

【告知】「誰が何を書いてもいいんだよ ――TVアニメ『たまこまーけっと』評論集――」に寄稿しました。

タイトルの通りです。
たつざわさん(@tatsuzawa)さんのアニメ・マンガ評論刊行会が、4月14日に開催される「第十六回文学フリマin大阪」向けの新刊として作成している評論集にエッセイというか自分語りを寄稿しました。

これから、ぼくは、とても好きになったこの「たまこまーけっと」という作品と、どうやって向き合っていくべきなのかなあ、とぼんやりと考えていたことをまとめたものです。

ぜひよろしくお願いします。

誰が何を書いてもいいんだよ ――TVアニメ『たまこまーけっと』評論集―― | アニメ・マンガ評論刊行会

ゆるゆりの主人公はふつうにあかりですよ。

最近バンダイチャンネルで1期2期ともに見ました。あかりと櫻子がかわいかったし、結京・ひまさくが好きです。
ところで、アイキャッチ、あれキャラソンの一部なんですってね。それで、あかりのがすげー好きだったんで、キャラソン聞いたんですよ。聞いたら、歌詞がすげえ気に食わなかった。初っ端から気に食わなかった。

周りはみんな ゆりゆりしてる
あれれ 乗り遅れてる?

私、主役の赤座あかりです 三上枝織 - 歌詞タイム

え?何?あかりってゆりゆりしたがってるの?という話で。

ゆるゆりというのは、京子が結衣のことしか考えてなくて結衣も京子のことが好きで好きでたまらなくてちなつちゃんは結衣のことばっかり考えてて、そこにまあ綾乃ちゃんが京子のこと気になってたりしていてそれを千歳が見て興奮してる中、櫻子と向日葵がえろえろな関係だというものなわけで(※個人的な解釈です)、その関係に入っていないからあかりは影の薄いキャラになっているわけです。ここまではいいとしても、じゃあ、あかりはこの関係の中にどうにか入っていきたいのか?というとそうではないだろう、とぼくは思うわけです。その点で、あかりのこのキャラソンは個人的にちょっとない。

1期1話であかりは誰か好きな人いるの?と問われて、「あかりは結衣ちゃんと京子ちゃんが好き!」と答えている。いやあ、これがもうすべての答えだと思う。この時点ではちなつちゃん未登場だけど、登場後に同じ問いが向けられたとしても、あかりの返答は「結衣ちゃんと京子ちゃんとちなつちゃんが好き!」になるだろう。あかりは誰が好き、とかじゃなくて、ごらく部が好きだし、ゆるゆりで描かれてるあのコミュニティがもうひっくるめて好きなんですよ。それこそ、みんなと過ごす放課後が、時間が楽しくてたまらないんですよ。だから、あかりはみんなのことを大好きだし、みんなもあかりが本当に大好き。あかりはみんなを愛してるし、あかりはみんなから愛されてる。

ゆるゆりはいわゆるところのサザエさん時空です。2期の10話では、2回目の修学旅行とかやっちゃってる。あの世界は繰り返してる。ずうっと繰り返してる。もし、結京が建前上も成立すれば、ちなつと綾乃は失恋します。あの世界はそのままではありえない。それで一番悲しむのは誰か。あかりです。あかりはあのみんなといっしょの楽しい毎日がずっと続いてほしいんです。そして、実際に続きます。なぜなら、この作品は”ゆる”ゆりだから。そして、ゆるゆりの主人公は紛うことなく赤座あかりだから。

まどマギ見た。

さやかはやさしい子でした。彼女の願いは純粋で、とてもすてきでした。ぼくは、だから、さやかが好きです。心の底から、すてきだと思いました。その道を進んでいいんだよと、それは彼女のためにはならないとわかっているのですが、言いたくなりました。
自分がつらいときでも、まどかという友達を常に気づかっていました。心の中に生まれた、言ったらまどかを不幸にしてしまうだろう言葉を何度も消して、消して、消していたのだろうし、さやかはそういうことができる子でした。だからこそさやかでした。
この作品は、作者は、それを、それを消せないようにしてしまった。そんな余裕がなくなっちゃう状況に、してしまった。それをさやかの口から言わせてしまった。さやかはまどかを傷つけ、さやかを傷つけた。

腹立たしいなあ、本当に。きちんと物語としておもしろいんだもん。腹立たしい。

憂がわからない。

ぼくは憂の気持ちがわからない。感情移入できない。ぼくが、どうしても顔を歪めてしまうような場面で、憂は変わらずニコニコしている。最初は、その笑顔を見て、憂を天使のように思っていた。なんて懐が広いんだろう、とか、そういう感想とともに。「憂は天使だなあ」と何度つぶやいたかわからない。でも、今はそうは思えない。彼女とぼくとの間に、埋めがたい断絶を感じる。ニコニコしている憂は恐ろしい。

2期の5話の話。軽音部が旅行でいないから、休日を3人で遊ぶ。2日後、唯たちが帰ってきて、それで、唯は、問答無用で梓を引っ張っていく、連れて行くわけだ。このとき、唯と梓を純と憂が見るような構図になっていて、唯の「じゃあねー」は、とても暴力的にさえ見える。奪われていく、そういう言葉が似合うよう。それを見て、傍らの純は少し呆けた顔をして、溜息をひとつ。とても正直なリアクションだなあと思う。ぼくが純なら、溜息の一つもつきたくなるだろう。梓と憂は、純にとっては最も仲が良く、大切な友達のはずだ。翻って、憂はどうか。笑っている。変わっていない。

梓に軽音部があるように、純にはジャズ研がある。もう一つ、おそらく、密度のある程度濃いコミュニティを持っている。憂はどうか。持っていない。部活にも入っていない憂には、少なくともアニメで描かれたもの中では、憂には純と梓と唯しかいない。でも、笑っている。梓が連れ去られても笑っている。(まあ、連れて行ったのが唯だから、というのはあるかもだが)

ところで、何話だったか忘れたが、唯が梓に電話をするシーンがある。たしか、他愛のない、ただの報告というか、「これこれがねー、これこれこうなんだよー!」みたいな、そんな内容だった。ぼくは、思うに、梓に出会う前は、何か人に話したいような出来事があったとき、電話をかける相手は憂だったんじゃないかと思う。大河は竜児にことあるごとにぜんぶ報告するじゃないですか(すんげーかわいいよねあれ)。あんな感じで。
それが梓になって。それだけじゃなく、たくさんのいろんなものが梓になって。それらは憂の前でもよくわかる形で行われて、それで、憂はニコニコとしている。憂が最も大切な人間は唯だろうと思う。それなのにニコニコしている。嫉妬とか、そういう感情は生まれないんだろうかなあと、ぼくはそう思えて仕方がない。ぼくにはわからない。

「自分とはどうなろうが、好きな人が幸せでいてくれればいい」みたいなのがある。ぼくにも好きだった女の子というのがいて、まあ、振られたんだけど、その彼女に友達でいることをお願いされた。まあ、できないよねっていう話で。だって、彼女から「彼氏ができて幸せです」って言われて、ぼくは祝福できる自信がない。まったくもって、笑顔で拍手なんてできない。彼女が本当に好きならば、そこで祝福するべきなんだろうとは思う。だけど、できない。できる気がしない。同様に、頻繁に電話をかけあって、夜遅くまでしゃべりまくるようなぼくのとても仲のいい友人が、ぼくよりももっと気の合う人間を見つけて、そいつがぼくのポジションに収まったとする。友人がより満足したとする。ぼくは喜べない。悲しくなるし、きっとねたむ。

(少なくともぼくの知る)母親というものは、子の幸せを願う。そばに自分がいるかどうかは関係なく、ただただ子の幸せを願う。昔自分がいたポジションに、他の誰かが収まって、それで、わが子がニコニコしていたとしたら、それを手放しに喜ぶ。

ここまで考えてみて、もしかしたら、憂は母親のように姉のことを愛しているのかもしれないなあ、なんて、そんなことを思う。だとしたら、憂はぼくが最初に思ったように天使(というか聖母?)で、そんなに怖がるものでもないのかもしれないし、ぼくが断絶を感じるのも当たり前のことなのかもしれない。
ぼくの人間としてのグレードが、ただただ低いだけなんだと思う。

掃除!

好きなんですよ、掃除。すごく楽しいんです。燃えるごみと燃えないごみ、2つの大きな袋を持って、机や床にあるものをどちらかの袋に投げ込んでいく。本やらなんやらは元の場所に戻す。通販の掃除機の実演のようにそこにものがなくなっていって、もう、とてもすっきりする。快感。気持ちいい。同様に食器洗いや洗濯も好きです。どちらも、やらなきゃいけない(と思っていた)ことがなくなって、全部消えてなくなるのがいいんですね。しかもそれが目に見える。勉強とかでもねー、模試の成績が上がんないのにコツコツ勉強し続けるってつらいと思うんですよ。自分が進んでるのかそれとも立ち止まってしまっているのか、わからなくて不安だし、それに、何より報酬がない。せっかく苦痛なことをしているのにすぐに見返りがない。逆に、成績がガンガン上がるときって楽しいです。それと同じですね。掃除や食器洗いや洗濯は楽しい。間違いない。

でも。始めるのが苦手なんですよ。先延ばしが得意なんですよ。目の前に散らかった部屋と、洗ってない食器と、溜まった洗濯物があると、「まあ、いいや。一発抜いてcivでもやろ」となるわけです。やり始めたら楽しいんですけどねえ。明日の朝やればいいだろと言いつつ11時に起きるのがぼくです。いや、間違えました。”今日の”ぼくです。今もそういう気分です。部屋は汚いです。取り込んだ布団が放ってあったり、炬燵の上に食器が腐りかけてたりします。ってなんか寿司食うのに使ったしょうゆやべえことになってるなんだこりゃキモ!

「出したものは仕舞う!使ったものは洗う!点けたものは消す!開けたら閉める!ゴミはゴミ箱へ!」。小さいころから口を酸っぱくして言われ続けたのについに身につかなかった母の言葉が脳裏に響きます。これができないからダメ人間になってしまいました。「自分だけが使う部屋になったら自分が快適に過ごすためにちゃんとやるよ!だって自分がつらいじゃん!」。ええつらいです。でもやりません。だからつらいです。つらいだけが残りました。ああ掃除やりたくねえ。

逐一片付ければ、何の問題もないんですよ。労力も少なく、心理的なハードルも低い。でも、けっきょく後へ後へになってしまう。ところで、ぼくは掃除が好きと言いました。語弊があるので言葉を足します。ぼくは「一気にやる掃除」が好きなのです。一気に部屋がきれいになって、「あああああああああああああああああああああきれいいいいいいいいいいいいいいいいい」って悶えたいのです。それはカタルシスです。だから、逐一する掃除はきっと好きじゃないんです。「きれいをキープする」じゃなくて「一気にきれいにする」が目的だしモチベーションだから、こういうことになる。困る。

さらに問題があるとすると、「一気にやる掃除」も始めるまでは等しく楽しくない。要はやる気が出ない。やり始めるまでが長い。けっきょく掃除好きじゃない。やりたくない。ああ、掃除やりたくない。

はあ、ブログも書き終わったし一発抜いてcivでもするか。ガンジー叩きのめしたしあとはスレイマンすりつぶして終わりだな。あいつ、核持ってないといいんだけど。

自由時間!

がほしいんですよ。心置きなく自由に使える時間。アニメ見たりマンガ読んだり抜いたりゲームしたりだらだらついったーしたりってそういう。いや、まあ、たとえばぼくは今日11時に起きて、掃除したくねえってエントリ書いて、その後延々と掃除したくねえって思いながらだらだらだらだら過ごしていましたよ。あいほん握ってもあんまりやることがないんで、1日に1レスあるかわからんようなJリーグ新人スレを5分にいっぺんリロードしたり、ついったーで「かしゅーる」と「しゅーくん」でそれぞれ何度もエゴサーチしたり。ホーム、リプライ、エゴサーチ、ホーム、リプライ、エゴサーチ。何度やっても増えねえよ!
暇の極限状態を実現していましたがやりたいことがないってわけではないんです。まず第一に汚い部屋をなんとかしたいし、飲み物こぼした布団は濡れタオルで拭きたいし、段ボールは畳みたいし、衣替えはしたいし、とらドラ5話見返したいし、けいおん2期の2周目の続きしたいし、とらドラの原作4巻読みたいし。ごま油とキッチンペーパー、それにシャンプーだって買いに行きたい。やりたいんですよ。でも、できないんだなあ。
けっきょく第一に部屋が汚れてるのがやる気を失わせてる主たる原因なんだろう。それは思う。しかし、それ以上に、明日明後日はバイトに行かなきゃいけない、早めに期末試験の勉強をしなくちゃいけない、さらには将来のために公務員試験の勉強とかも始めたほうがいいんじゃないか、みたいなそういう焦燥感、とまでは言わなくても、何かぼくの心に圧力を与えてくるものがですね、ぼくにだらだらを強要するんです。
TLに「今日結局大学サボって本読んでた」ってpost見てすごく微妙な気分になるんですよね。大学サボるところまでいっしょなのに、ぼくは大学サボっても何もしてない。「掃除しなきゃ」とか思いながら、ついったーでリプライとエゴサーチをいったりきたりしてる。
この状況、去年から変わってないんですよ。受験期といっしょ。やるべきことがあるから、やりたいこともできない。何もできない。時間だけ浪費する。胸を押しつぶすものの存在が、ぼくに何もさせてくれない。大学に受かったらね、なくなると思ったんですよ。でも、そんなことはなかった。何も変わらない。何も変わらない。考えてみれば当たり前ですね。そして、それが大学卒業後も続くことは間違いなくて、今度はそのだらだらと過ごす時間の絶対量も大幅に減っていく。はあ、働きたくねえ。
ろくおく当たんねえかなあ。あと掃除と炊事と洗濯してくれるメイドさん来ねえかなあ。存在感ない感じの。
この2つがあれば気持ちが晴れ晴れとするような気がしてならないんだけどなあ。あ、あと性欲の減退。